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静岡地方裁判所沼津支部 平成8年(ワ)115号 判決 1998年9月30日

原告

林田和行

外一名

右両名訴訟代理人弁護士

萩原繁之

佐藤久

被告

静岡県

右代表者知事

石川嘉延

右訴訟代理人弁護士

林範夫

右指定代理人

肥田宏一

外三名

被告

西伊豆町

右代表者町長

窪田一郎

右訴訟代理人弁護士

宮原守男

倉科直文

主文

一  被告西伊豆町は、原告らに対し、それぞれ金二二九二万八七三二円及びこれに対する平成七年八月四日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告らの被告西伊豆町に対するその余の請求及び被告静岡県に対する請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用は、原告らに生じた費用の四分の一と被告西伊豆町に生じた費用を被告西伊豆町の負担とし、原告らに生じたその余の費用と被告静岡県に生じた費用を原告らの負担とする。

四  この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。

事実及び理由

第一  請求

被告らは、各自、原告らに対し、それぞれ金四五六九万〇九〇七円及びこれに対する平成七年八月四日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二  事案の概要

本件は、被告西伊豆町が設立運営している静岡県賀茂郡西伊豆町立仁科小学校の五年生に在籍していた林田靖司が、夏休み期間中、PTA事業として行われたプール開放に参加し、同小学校に設置されているプールにおいて遊泳していた際、同プールの底に設置されていた排水管口に右膝を吸い込まれて溺死したため、靖司の父母である原告らが、被告西伊豆町に対してプールの設置管理の瑕疵を理由に(国家賠償法二条一項)、被告静岡県に対して被告西伊豆町に対する指導・監督権限の不行使を理由に(同法一条一項)、損害賠償を求めている事案である。

一  争いのない事実及び証拠上容易に認定できる事実

1  当事者等

(一) 原告ら(争いのない事実、甲一)

原告らの二男である林田靖司(以下「靖司」という。)は、昭和五九年一〇月二五日生まれで、被告西伊豆町立仁科小学校(以下「本件小学校」という。)の五学年に在学していた。原告林田和行は靖司の父であり、原告林田トヨ子は靖司の母である。

(二) 被告ら(争いのない事実、証人服部、同山﨑)

被告西伊豆町は、本件小学校を設置し、同町教育委員会又は本件小学校を通じて同小学校の施設であるプール(以下「本件プール」という。)を設置し、管理している者である。

(三) 被告静岡県は、同県教育委員会を通じて教育行政に携わり、学校内での安全管理その他の事項について、文部省からの通達を受けてそれを各市町村長に取り次ぐなどして各市町村を指導・監督している者である。

2  本件プールの構造等(争いのない事実、甲一九の1、丙一ないし三、証人服部)

(一) 本件プールは、東西が12.8メートル(六コース)、南北が25.0メートル、水深が最深部で約1.3メートルであった。

(二) 本件プール南側から8.28メートルのプール最深部の中央には、縦、横及び深さがいずれも0.44メートルの排水溝(集水桝。以下「本件排水溝」という。)が設置されている。

本件排水溝の南側側面には、上部から二二センチメートル、底部から八センチメートル、側面の左辺から二二センチメートル、右辺から七センチメートルの位置に直径一五センチメートルの排水管口(兼循環取水口。以下「本件排水管口」という。)が存し、そこからプール南側方向に排水又はプール東側に設置されているろ過器(ポンプで吸引)へ水が流れていく構造となっている(別紙図面1、2参照)。そして、プールから水を抜く場合は、排水バルブを開けて水を流出させることになり、その場合、本件排水管口は、「排水口」として機能するが、通常のプールの使用時には、プール横のろ過器へ向けて微速で水を循環させるための「取水口」として機能していた。

本件排水管口からの吸水圧は、付近にいる者の身体を吸い込むほどのものではないが、これに体の一部を密着させ、あるいは挿入するなどしてこれを閉塞する事態が生じると、吸水圧が強く働いて本件排水管口から体が抜けなくなる状態となる。

(三) 本件排水溝上には、四九センチメートル四方、厚さ2.5センチメートル、重量約一七キログラムの鉄製格子蓋(以下「本件蓋」という。)が、本件排水溝の周囲よりわずかに低い位置に落とし蓋式に設置されていた。そして、本件蓋は、平成七年八月四日当時、ボルト等で本件排水溝に固定されていなかった。

3  事故の発生(争いのない事実、甲三、一九の1、四九の1、2)

本件小学校では、平成七年六月五日にプール清掃が行われ、同月一二日にプール開きが行われた。

靖司は、同年八月四日、夏休み期間中にPTA授業として行われたいわゆるプール開放に参加し、同日午後一時からPTA監視員二名の監視のもと、本件プールでの遊泳を始めた。その当時、本件プールは、ほぼ満水の状態であり、ろ過器が作動し、本件排水管口は吸水口として機能している状態であった。

靖司は、本件プールで遊泳中の同日午後一時五〇分ころ、本件排水溝に尻部分が入り本件排水管口に右膝部分がはまり込んだ状態で本件排水溝から脱出できずに溺れているところを発見され、ろ過器を停止するなどして監視員らが救助に当たった結果、同日午後二時一〇分ころようやく救出されて医療法人社団健育会西伊豆病院に搬送され治療を受けたが、翌五日午後一一時四分、死亡した(以下「本件事故」という。)。

なお、本件事故が発生した当時、本件蓋は所定の位置から外れており、本件排水溝が開いている状態となっていた。

4  被告西伊豆町の責任

被告西伊豆町は、本件プールについて、本件排水溝上の本件蓋がボルト等により固定されていなかったことに設置・管理上の瑕疵があることを自認するところである。

そうすると、被告西伊豆町は、本件事故により靖司に生じた後記損害について、国家賠償法二条一項に基づく責任を負わなければならない。

5  傷害保険金の支払(争いのない事実、甲五二、丙五の1及び3)

本件事故について、契約者仁科小学校PTA、被保険者靖司とする普通傷害保険に基づき、日本火災海上保険株式会社から靖司の親権者である原告らに対し、平成七年一〇月九日、保険金額一二〇一万円(死亡保険金一二〇〇万円、入院日額五〇〇〇円を二日分)が支払われた。なお、右傷害保険は、定額の傷害保険で、保険者代位はされない。

二  争点

1  本件事故の態様

(一) 原告らの主張

本件事故当時、本件蓋は本件排水溝から外れていた。靖司は、本件蓋を閉めようとして、本件排水溝の底に両足を入れて立った姿勢で本件蓋を手前に引っ張ろうとしている際に偶然右膝が本件排水管口に吸い込まれてしまったのではないかと推測される。したがって、靖司が発見された当時、その身体が本件排水溝内にすっぽりと入り込んだ姿勢になっていたとしても、靖司が意図的に本件排水溝内にその身体をすっぽり入れるような状態にしたものではなく、本件排水管口に吸い込まれた結果やむなく生じたものである。

(二) 被告西伊豆町の主張

本件排水管口は、通常の使用時には本件プール横に存するろ過器へ向けて微速で水を循環させるための取水口として機能するにすぎず、本件プールで遊泳中の者が本件排水管口に向かって吸い寄せられることはあり得ず、近くに立った者の体を吸い込む力はないばかりか、たとえ本件排水管口に足等を挿入するようなことがあっても、閉塞率が七〇パーセント程度までは足を吸い込まれる事態には至らない。ところが、閉塞率が七五パーセントを超えると吸水力が急速に高まり、足が吸い込まれて全閉塞状態に至る危険があり、全閉塞状態になれば、自力で足を引き抜くことは不可能になる。

本件事故当時、靖司は、四四センチメートル四方の狭い本件排水溝の中に体を沈めて座るような姿勢を取り、その屈した右膝が膝頭を先にして本件排水管口にはまり込んでいたものである。

したがって、靖司が何らかの原因で意図的に、底からわずか八センチメートルしかない位置にある本件排水管口が全閉塞状態になるように右膝頭付近を隙間なくあてがう体勢を取るという行動を取ったため、閉塞された本件排水管口の真空圧により右膝部分が抜けなくなった結果、本件事故に至ったものと推定される。

2  被告静岡県の責任

(一) 原告らの主張

(1) 国又は地方公共団体の公務員が法令その他に基づく規制の権限を有しているのに、これを行使しない場合、①権限不行使により侵害される法益が生命、身体の安全、健康等重大な法益であり、②重大な法益侵害の危険が切迫していることを現に予見しまたは予見しうる可能性があり、③行政権限を行使しさえすれば容易に結果発生を防止しうるものであり、④行政権限を行使しさえすれば被害者である私人側には危険情報を持たないなどの事情から、社会通念上、行政権限の行使を期待し信頼することが当然であり合理的だと認められる事情があるときには、国家賠償法一条一項の要件である違法性ないし作為義務違反が認められる。

(2) 規制権限について

被告静岡県は、地方教育行政の組織及び運営に関する法律(以下「地教行法」という。)四八条一項、二項一号、三号及びスポーツ振興法一二条、一六条を直接の根拠として、市町村に対し、学校プールの安全確保のための指導監督権限を有する。

そして、学校プールの排水溝において、従前、児童・生徒が排水管口に吸い込まれて死亡する事故が多発し、静岡県内では、昭和五六年八月六日清水市入江小学校において、また、昭和六〇年七月四日に志太郡大井川町大井川中学校においていずれも死亡事故が発生していた。さらに、文部省体育局からはしばしば学校水泳プールの安全管理についての指導を求める通知が都道府県教育委員会に対してなされ、特に本件事故直前の平成七年五月二六日付け「水泳等の事故防止について(通知)」(文体生第一一一号)と題する文書はまさに本件事故と同一内容の事故の発生の危険を警告して、「プールの排水口等に吸い込まれて死亡する事故の防止のため、排水口等には、堅固な鉄格子蓋や金網を設けて、ボルトで固定するなどの措置をし、いたずらなどで簡単に取り外しができない構造とすること」を求めていた。

したがって、被告静岡県は、被告西伊豆町を含め市町村に対し、文部省通知を伝達するとともに、自ら、実態の調査を行い、その調査結果に基づいて、前記措置が講じられていない学校プールについては、市町村に早急にこれを講じるよう、また、その工事計画についての具体的提案を市町村に求めるなどの指導監督の権限と責任を有していた。

(3) 規制権限の不行使による違法性について

学校プールの排水溝において従前から児童生徒が吸い込まれて溺死する事故が多発していたことから明らかなとおり、学校プールの設備の不備は児童、生徒の生命への切迫した危険をもたらすような事項であって、指導監督権を行使して保護すべき法益は重大なものであった。

しかも、学校プールの排水溝において、従前、児童・生徒が排水管口に吸い込まれて死亡する事故が多発し、静岡県内でも、死亡事故が発生しており、文部省体育局から、しばしば、学校水泳プールの安全管理についての指導を求める通知が都道府県教育委員会に対してなされ、その防止のために前記措置が求められていたから、被告静岡県には、本件事故の発生につき十二分に予見が可能であった。

被告静岡県は、同県教育委員会において、文部省通知を迅速に市町村に伝達することはもとより、文部省通知に基づいて排水溝の構造上「堅固な格子鉄蓋や金網を設けてボルトで固定するなどの措置」がなされていない場合には児童生徒の生命にかかわる重大な危険を及ぼす事故が生じうることを、管下の教育委員会及び学校管理者に対し、十二分に認識させるとともに、自ら実態の調査確認を行い、調査結果に基づいて「堅固な格子鉄蓋や金網を設けてボルトで固定するなどいたずらで簡単に取り外しができない構造とする措置」が講じられていない学校プールに関しては、市町村に、早急に右措置を講じるよう指導勧告をし、右措置の工事計画についての具体案提示を市町村に求めるなどの措置を講じることが容易に可能であった。また、静岡県教育委員会自体がなすべき調査確認、指導勧告の作業自体がそれに要する労力費用等も莫大なものではなく容易に可能なものであったことはもとより、これに応じるべき市町村側においても前記措置のため工事自体を含めそのために必要な費用労力等はわずかなものであって、被告静岡県が指導勧告や実施計画の提示を求めた場合にこれに応じることも容易であり、したがって、被告静岡県が、文部省通達の周知徹底、履行の確保の策を講ずることはきわめて容易であった。被告静岡県がこうした措置を講じていれば、被告西伊豆町が本件プールの排水溝の構造を改善する工事を実施したであろうことは確実であるから、容易に本件事故発生を回避防止し得たはずである。

さらに、被害者である靖司及び原告ら側では、学校プールにおける死亡事故の事例等について十分な知識もなければ、学校プールの利用について本件事故のような危険が内在しているなどとは思いも寄らないことであることなどから、危険を予見しこれを回避する手段も持っていない。このような事情に鑑みれば、社会通念に照らして、被告静岡県に対して行政権限の行使を期待し信頼することが当然であり合理的だと認められるべきである。

ところが、被告静岡県は、昭和五六年に県下で生徒がプール底の排水口にはまり死亡する事故が発生し、昭和六一年に文部省から通知が出された後も、長年にわたり県下の市町村に対し十分な指導を行わなかった結果、被告西伊豆町をして本件プールの設置管理に瑕疵がある状態を放置させ、本件事故を惹起させることになった。なお、被告静岡県は、これまでに文部省からの通知等を適正な時期に被告西伊豆町に伝達してきたと主張するが、これらの通知が被告西伊豆町に伝達されたかどうかは疑わしく、また、その通知のほとんどが、単に文部省の通知を引用し、又は別紙として添付したのみの極めておざなりなものである上、本件事故直前である平成七年五月二六日付けの文部省体育局長から各都道府県教育委員会教育長宛の前記「水泳等の事故防止について(通知)」については、同月三〇日には静岡県教育委員会においてこれを受領しているのに、迅速に市町村に伝達することを怠り、約二週間も伝達しないまま放置した。そのため、同年六月一六日に至るまで被告西伊豆町に右文書は到達しなかった。本件小学校においては、プール開きが同月一二日になされていたのであって、右通知文書を受領して、これに基いて本件排水溝に堅固な格子鉄蓋や金網を設けて、ボルトで固定するなどの措置を講ずるための適切な機会を逃してしまった。右通知文書伝達がより迅速に、かつ、前記措置を講ずるために適切な時期のうちになされていれば、このような措置を講ずる可能性があったのであって、被告静岡県の伝達文書の遅れが前記措置が執られることなく放置される少なくとも一つの要因となった。

(4) したがって、被告静岡県は、前記規制権限を行使しなかったことにつき、国家賠償責任を負う。

(二) 被告静岡県の主張

(1) 原告らが被告静岡県において被告西伊豆町に対して行うべきであったという指導・監督は、法令上の直接の根拠規定に基づかないものである。そして、法令上の直接の根拠規定を欠く行政指導は、行政指導の主体・客体・内容あるいは実施方法等について全く規定がないのであるから、行政指導をするかどうか、また、これをするとした場合、いかなる時期にいかなる方法で行うかは、原則的に被告静岡県の裁量に委ねられており、行政指導を行わないことが被告静岡県の義務懈怠となることは原則としてない。

(2) 国又は地方公共団体の公務員の規制権限の不行使という不作為が特定の国民に対する関係で国家賠償法一条一項にいう違法というためには、その国民に対する関係で右権限を行使すべき作為義務が存したことが必要である。地教行法は、国民の教育を受ける権利を実現するために「地方公共団体における教育行政の組織及び運営の基本」を定めた行政組織法であって、個別国民に対して負担する職務上の作為義務を発生させるものではない。

(3) 憲法九四条及び地方自治法一条の二により、地方自治の原則が現行教育法制における重要な基本原理の一つとされているため、国や県の行政指導はあくまでも教育機会の均等・教育施設の平準化・平等化等からの協力要請にとどまるものであって、これに応ずるのを妥当とするかどうかは、被告西伊豆町が独自の判断で決定する自由・権限を有するものでなければならない。本件で問題となっている本件プールの設置管理については、独立の地方公共団体の財政上あるいは政策上の行政権限の専権に属するというべき事柄で、原告らの主張は地方自治の本旨に反する独自の主張であって失当であり、被告静岡県の行政指導の有無・程度が本件プール事故との関係で義務懈怠となることはおよそあり得ない。

(4) 被告静岡県は、文部省からの通達・通知等を適正な時期に被告西伊豆町に伝達して、プール排水管口の事故の危険性を十二分に認識させ、早急に排水溝に網・鉄格子等を設け、ボルト等で固定するなど、それが容易に取り外せない構造とする措置を確実に講じるように、指導・監督を行ってきたものであって、被告静岡県の被告西伊豆町に対する行政指導には原告らが指摘するような不備・不都合は何ら存在しない。

3  損害

(一) 原告らの主張

(1) 逸失利益

五六一八万一八一四円

本件事故当時、靖司は、小学校五年生で、一〇歳一〇か月の健康な男子であった。靖司は、本件事故により死亡することがなかったならば、将来一八歳から六七歳までの四九年間就労が可能であり、この期間中、平成五年の賃金センサスによる男子労働者の学歴計・年齢計の平均年収五四九万一六〇〇円を得ることができたものと推認することができる。

そこで、靖司が生活を営むにつき想定されるべき生活費控除割合を五割として、ホフマン方式を用いて死亡時における靖司の逸失利益を算定すると、五六一八万一八一四円となる(549万1600×0.5×20.461)。

(2) 慰謝料 二六〇〇万円

楽しかるべき夏休みのプールで遊泳中に本件事故により突然不慮の死を遂げ、わずか一一年足らずで人生の幕を閉じなければならなかった靖司の無念さは多大なものであり、慰謝料を金員に評価するに、二六〇〇万円を下らない。

(3) 葬儀費用 一二〇万円

(4) 弁護士費用 八〇〇万円

原告らは、被告側と損害賠償の交渉をしてきたが、被告西伊豆町は極めて低額な賠償額しか提示しないため、原告ら訴訟代理人に依頼して本訴を提起することを余儀なくされた。弁護士費用としては八〇〇万円を被告らが負担すべきである。

(5) 小計 九一三八万一八一四円

(6) 相続

原告らは、靖司の両親であって相続人であり、前記損害について各二分の一の割合(各四五六九万〇九〇七円)で相続した。

(7) 過失相殺の主張に対する反論

靖司は、故意に被告西伊豆町が主張するような体勢を取ったのではない。仮に、靖司が発見された当時、被告西伊豆町が主張するような体勢になっていたとしても、それは吸い込まれた結果やむなく生じたものであり、故意にそのような動作を取ったものではない。本件排水溝から外れていた本件蓋を閉めようとして、本件排水溝の底に両足を入れて立った姿勢で本件蓋を手前に引っ張ろうとしている際に偶然靖司の右膝が本件排水管口に吸い込まれてしまったのではないかと推測される。

一方、被告西伊豆町は子供が危険行動を取ることを前提に安全措置を講じるべきであったのであり、しかも、それは本件蓋をボルト等で固定するだけのわずかな予算と労力でできることであったにもかかわらず、被告西伊豆町は、これを怠った。

また、被告静岡県や被告西伊豆町は、固定されていない排水溝の危険情報を集積し独占してきたにもかかわらず、児童に対し危険性の情報さえも提供していなかった。そして、靖司は、本件排水溝や排水管口への接近の危険性の情報を与えられていなかったため、その危険性を認識することが困難であった。したがって、本件排水溝や排水管口への子供の接近を非難することは許されない。

(8) 受領した保険金を慰謝料において考慮すべき旨の主張に対する反論

仁科小学校PTA普通傷害保険より受領した金員については、この保険の保険契約者が被告西伊豆町とは関係ない本件小学校PTAであること、生命保険的なものであることなどから、慰謝料の算定に当たり考慮すべきではない。

(二) 被告西伊豆町の主張

(1) 学童等一八歳未満の者の逸失利益につき賃金センサスによる労働者の学歴計・年齢計の平均年収をもって計算する場合には、中間利息の控除は原告らの主張する新ホフマン係数(20.461)によるのではなく、ライプニッツ係数(本件の場合12.297)によるべきである。

(2) 慰謝料は、一八〇〇万円が相当である。

(3) 弁護士費用については争う。

(4) 過失相殺

靖司は何らかの原因で意図的に、四四センチメートル四方の本件排水溝の中で、底からわずか八センチメートルしかない位置にある本件排水管口が全閉塞状態になるように右膝頭付近を隙間なくあてがう体勢を取ったため、閉塞された本件排水管口の真空圧により右膝部分が抜けなくなる事故に至ったものと推定される。

したがって、本件事故については、被害者である靖司にも過失があるから、原告らの損害について過失相殺を適用すべきである。

(5) 保険金の受け取りについて

本件小学校PTAが掛けていた保険から原告らに支払われた一二〇一万円については、慰謝料算定をするについて斟酌すべきである。

第三  争点に対する裁判所の判断

一  本件事故の態様等について

1  本件プールの構造及び排水管口の吸引力について(争いのない事実、甲一九の1、二四、丙五の1、証人服部、弁論の全趣旨)

本件プールの構造については、前記認定のとおりである。そして、本件蓋は、重量約一七キログラムであるが、水中においては浮力が働くことにより比較的移動し易くなり、小学生がこれを水中で移動させることも不可能ではない。

また、本件排水管口の吸引力について、これに身体の一部を密着させ、あるいは挿入させると、吸水圧が強く働くことがあるところ、本件排水管口の吸水圧を示す直接の証拠はなく、プールの大きさ、排水管口の位置、ろ過器による循環の水量等諸々の条件によって異なってくるものと思われる。

本件プールにおいては、後記認定のとおり、小学校五年生の女子生徒が、本件排水溝に入った帽子を取り、本件排水溝の縁に腰掛けていたことがあるが、その際、その帽子あるいは同生徒の身体が本件排水管口に吸い込まれるようなことがなかったことからすると、単に本件排水溝に入っただけで身体の一部が吸い込まれるほどの吸引力はなかったと推認されるが、これに身体の一部を密着させ、あるいは挿入するなどしてこれを閉塞する自体が生じると、吸水圧が働いて自力で排水溝から脱出することは困難である。

2  本件事故前の状況(争いのない事実、甲一九の1、証人服部)

平成七年八月四日午後一時から、いわゆる夏休みのプール開放に伴い、本件プールでPTA授業としてPTA監視員二名の監視下でプール遊泳が始められた。

当日プール開放に参加した小学生は、靖司を含む三三名であり、午後一時から午後一時三〇分まで第一回目の遊泳が行われ、一〇分間休憩した。その休憩時間中に、二年生の女子生徒が、水中めがねを掛けてプールサイドから水中の様子を見ていたが、その時には、本件蓋が閉まっていた。

同日午後一時四〇分から第二回目の遊泳が開始されたところ、その直後ころ、五年生の女子生徒が、本件排水溝の中に落ちた帽子を拾い、本件排水溝の縁に腰掛けていたが、そのころには、本件排水溝は開いていた。その後、靖司を含む三名の男子生徒が、本件排水溝の付近に集まり、本件排水溝の脇にあった本件蓋を持ち上げようとしてあるいは閉めようとして触っていた。

以上の事実に本件事故当時本件蓋が開いていた事実を併せ考えると、第二回遊泳開始時である午後一時四〇分までは、本件排水溝は閉まっていたが、その後、本件蓋が開けられ、本件事故発生当時も、これが開いたままの状態であったことが認められる。なお、本件蓋は、遊泳中の生徒によって開けられたと推測されるが、本件蓋を移動させて取り外した者を特定することは困難であるというべきである。

3  本件事故当時の状況等(争いのない事実、甲一九の1、二〇の5ないし11、丙五の1、2)

本件事故発生当日の午後一時五〇分ころ、靖司が本件排水溝のところで手を振っているような様子であることを遊泳中の他の児童が見付け、本件プールから上がってPTA監視員に伝えた。そして、居合わせた監視員や保護者は、本件プールに飛び込んで靖司の救助に当たり、連絡を受けて駆け付けてきた職員が循環ポンプを制止し、監視員ら大人五名で救助に当たったが、引き上げることができなかった。その際、靖司の身体は、尻部分が本件排水溝にすっぽりと入り込み、折れ曲がった右膝部分が本件排水管口にはまり込んだ状態にあった。

一一九番通報により午後一時五六分に現場に到着した救急隊が加わったが、靖司の右膝部分は、本件排水管口から抜けず、午後二時五分に潜水を開始した三名の水難救助隊の一名が靖司の背部を持ち、残り二名が右大腿部を持ってその右膝を引き抜いた結果、午後二時一〇分ころ、靖司は、ようやく救助され、医療法人社団健育会西伊豆病院へ搬送されて治療を受けたが、翌五日午後一一時四分溺水により死亡した。

この点について、原告らは、靖司が立っている状態から本件排水管口の吸引力により右膝部分が吸い込まれてしまった旨主張する。しかしながら、本件排水管口の吸引力が、前記認定のとおり、本件排水溝内に立っている程度では吸い込まれるほどのものではないこと、本件排水管口は、約四〇センチメートル四方の比較的狭い本件排水溝の低い位置にあることなどを併せ考えると、靖司が立っている状態で、本件排水管口の吸引力により右膝を吸い込まれたとみることは不自然であり、採用することはできない。

一方、被告西伊豆町は、靖司が故意に排水管口に右膝をあてがうような体勢を取った旨主張する。しかしながら、靖司が、本件排水溝に入ってしゃがみ込むような体勢を取った際、右膝部分が本件排水管口付近に接したため、右膝部分が本件排水管口に引き込まれてしまうような事態に至ったとも考えられ、靖司が故意に右膝部分を本件排水管口にあてがったと認めるに足りる証拠はない。

二  被告静岡県の責任について

1  文部省の通知、被告静岡県の措置等について

(一) 類似の事故の発生(甲四、五の1ないし9、二一の1、三六、四四)

昭和四一年から平成七年までの間、全国で児童・生徒がプールの排水管口に身体の一部を吸い込まれて死亡する等の事故が三三件以上発生していること(うち少なくとも三一件は死亡事故)が認められる。特に、昭和五六年から昭和六一年までは、毎年一件ないし数件の同種事故が発生していた。それ以降しばらくは事故の発生がなかったものの、平成六年に長野県、大阪府及び鹿児島県でそれぞれ同種事故が発生し、平成七年に本件事故を含む二件(宮城県、静岡県)の事故が発生した。

静岡県では、昭和五六年八月六日に清水市立入江小学校の五年生男子生徒が、昭和六〇年九月四日に大井川町立大井川中学校の二年生女子生徒が、それぞれ排水管口に引き込まれていずれも死亡した。

(二) 文部省による通知等

(1) 文部省の毎年の通知(甲七、一一ないし一三、一七の1ないし4、五〇、乙一、四ないし一三、証人服部、証人山﨑)

文部省体育局からは、毎年五月ころ、都道府県教育委員会教育長等宛に、「水泳等の事故防止について(通知)」等と題する通知が発せられ、静岡県教育委員会は、この通知を踏まえ、同県教育委員会の機関である東部教育事務所を通じて、右文部省の通知をそのまま引用・添付する形で、あるいは、県独自の文書を新たに作成して同県教育委員会教育長が各教育事務所長宛に通知し、各教育事務所(被告西伊豆町においては東部教育事務所)から市町村教育委員会に、各市町村教育委員会から各学校に伝達されていた。

毎年行われる右通知においては、プールの排水管口において児童・生徒が引き込まれて死亡する事故が発生していることについて、直接指摘し、あるいは、同旨の記載がなされている昭和五三年六月一日付けの「水泳等の事故防止について(通知)」(文体ス第一二六号)を添付・引用する形、あるいは、学校体育実技指導資料第四集「水泳指導の手引(改訂版)」(平成五年五月発行)、「学校体育指導必携」(平成三年三月発行)や「学校における水泳事故防止必携」(一九八四年度版、一九八九年度版)等を参考に挙げるなどして、安全配慮に万全を期すよう管下の教育委員会等に指導することを求めているものがほとんどである。すなわち、右「学校における水泳事故防止必携」、「水泳指導の手引(改訂版)」においては、排水溝に児童・生徒が引き込まれる事故が発生していること及びその事故防止のためには排水口には堅固な金網、鉄格子等を設けて容易にそれを取り外せない構造とする等の安全管理が必要であることを具体的に記載し、特に、右「学校における水泳事故防止必携」においては、既発の事故の内容を具体的に記載している。

特に、昭和六一年五月一九日付けの文部省体育局体育課長から各都道府県教育委員会体育主管課長宛の「学校水泳プールの安全管理について(通知)」においては、前年度に行った公立学校水泳プール管理等状況調査の報告とともに、「特に、排水口に、堅固な金網・鉄格子等を設け、ボルト等で固定するなど、それが容易に取り外せない構造とする措置を早急に講じる」ことにつき管下の教育委員会及び学校に対し指導を求めている。

また、平成七年五月二六日付け文部省体育局長から各都道府県教育委員会教育長宛の「水泳等の事故防止について(通知)」(文体生第一一一号)においては「特にプールの排水口等に吸い込まれて死亡する事故の防止のため、排水口等には、堅固な格子鉄蓋や金網を設けて、ボルトで固定するなどの措置をし、いたずらなどで簡単に取り外しができない構造とすること。」として具体的に排水口の蓋の固定について指摘し、管下の教育委員会及び学校に対し、この通知の主旨の徹底を図ることを求めている。

右通知については、この通知を引用する形式で、平成七年六月一日付け静岡県教育委員会体育保健課長から各教育事務所長宛「水泳等の事故防止について(依頼)」(教体第二二四号)が発せられ、さらに、これを受けて平成七年六月一二日付け東部教育事務所長から各市町村教育委員会教育長宛「水泳等の事故防止について(通知)」(東教第五八五号)が、被告西伊豆町教育委員会を通じて本件小学校にも伝達された。

(2) 昭和六〇年八月二八日付けの通知(甲九の1、乙二、証人服部)

文部省は、昭和六〇年八月二八日付けの文部省体育局体育課長から各都道府県教育委員会体育主管課長宛「水泳プールの安全管理について」(六〇体体第三二号)(甲九の1)と題する通知を発しており、これによれば、「最近、学校の水泳プール内で児童・生徒が排水口に足を吸い込まれて死亡する等の事故が発生しております‥排水口には堅固な金網・鉄格子等を設けて容易にそれを取り外せない構造とする等その安全管理には万全を期するよう‥」と具体的措置を掲げて、その安全管理について管下の教育委員会、学校に対し指導することを求めている。

右通知を受けて、静岡県教育委員会教育長は、昭和六〇年九月六日、教育事務所長、公立高等学校長、県立特殊学校長宛に「水泳プールの安全管理について(通知)」(教体第三四七号)を発し、水泳プールの安全管理及び水泳の事故防止のため、周知徹底を図るべき事項を列挙し、「排水口には、堅固な金網、鉄格子等を設け、容易に取り外せない構造とすること。」とし、被告西伊豆町にも、東部教育事務所を通じて同通知が伝達されていると推認できる。

(3) 文部省の調査(乙四)

文部省は、昭和六一年一月二九日付けで「公立学校水泳プール管理等状況調査」を各都道府県教育委員会に依頼・実施した結果、全国の公立の小学校、中学校、高等学校、特殊教育諸学校の水泳プール設置校総数二万八三五六校のうち、①排水口の蓋の固定方法として、「蓋有」のうち「ネジ・ボルト等による固定」が七四七三校(26.4パーセント)、「蓋の重量のみによる固定」が一万六八一四校(59.3パーセント)、その他が三〇〇九校(10.6パーセント)、「蓋無」が一〇六〇校(3.7パーセント)、であり、②排水管口の状況として、「排水口の蓋有」のうち「吸込防止金具等を設けている」が一〇六五九校(37.6パーセント)、「何も設けていない」が一六六三七校(58.7パーセント)、「排水口の蓋無」のうち、「吸込防止金具等を設けている」が六七二校(2.4パーセント)、「何も設けていない」が三八八校(1.3パーセント)であった。

(三) 静岡県教育委員会独自の指導等(乙三、証人山﨑)

昭和六〇年九月二四日、静岡県教育委員会体育保健課長から各市町村教育委員会教育長宛に「プールの安全状況等に関する調査について」(教体第三五四号)が出され、これに基づいて、①排水口の「ふた」の固定状況、②固定されていない学校の今後の措置、③固定されている学校の固定方法について、被告県教育委員会独自の県下の実態調査が行われた。その直後に文部省からの前記調査依頼がなされたため、調査結果が文部省に報告された。

(四) 本件事故後の措置等(甲一〇、一八の1ないし4、一九の1、2、二九、三五の1、三七、証人服部、同山﨑)

(1) 被告西伊豆町は、本件事故後、本件排水溝に格子蓋を固定する工事に着手し、平成七年八月九日には右工事を完成させた。

(2) 文部省においては、平成七年九月一一日、文部省体育局体育課長から各都道府県教育委員会体育主管課長宛「水泳プールの安全管理について(通知)」(七体体三一号)を発し、排水口には堅固な格子鉄蓋や金網を設けてボルトで固定するなどの措置をし、いたずらなどで簡単に取り外しが出来ない構造とするなど、その安全管理に万全を期するよう、管下の教育委員会や学校に指導すること、水泳プールについて取られている安全対策の状況について十分把握すべきこと、都道府県教育委員会において同年五月二六日付けの体育局長通知の主旨をどのように周知・徹底したかについての回答を求めた。

(3) 本件事故後、静岡県教育委員会は、県下の実態調査を行い、その結果、平成七年一〇月現在、静岡県下の公立の小学校、中学校、高校、特殊教育諸学校総数九三四校のうち、水泳プールを設置している学校総数八六三校(92.4パーセント)、「固定済み」が五八四校(67.7パーセント)、「固定なし」のうち「計画あり」が一九三校、「計画なし」が八六校あった。

(4) また、文部省は、平成七年一二月二七日付けの通知(依頼)を発し、平成七年五月一日現在において水泳プールを設置している国公私立の小学校、中学校、高等学校、特殊教育諸学校等を対象とし、①水泳プールの設置状況及び浄化装置の附設状況、②水泳プールの排水口の蓋等について、排水口の蓋の固定方法と改善計画、排水管口の状況と改善計画、③水泳プールの安全について、安全点検の実施状況の三つを調査項目とし、計三一八四六校の実態調査を行った。

右調査の結果①排水口の蓋の有無について、「蓋あり」が三万一五三六校(99.0パーセント)、「蓋なし」が三一〇校(1.0パーセント)、②蓋の固定方法について、「重量のみによる固定」が一万一一五七校(三五パーセント)、③排水管口の吸い込み防止金具等の有無について、排水口に蓋のあるプールで「吸い込み防止金具等あり」が二二三四三校(70.1パーセント)、「吸い込み防止金具等なし」が九一九三校(28.9パーセント)、排水口に蓋のないプールで「吸い込み防止金具あり」が八二校(0.3パーセント)、「吸い込み防止金具なし」が二二八校(0.7パーセント)であった。

文部省は、右結果を踏まえ、平成八年五月二〇日付け各都道府県教育委員会教育長宛に通知を発し、このような事故が再び起こらないよう排水口の改善等を求めた。

(5) さらに、文部省において、平成九年二月から三月までの間に、その後の改善状況についてのフォローアップ調査を行い、①水泳プールの設置校数、②水泳プールの排水口の蓋等について、排水溝の蓋の固定方法と改善企画、排(環)水管口の状況と改善計画を調査し、その結果を各都道府県教育委員会教育長宛に報告した。

2  被告静岡県の責任について

(一)  規制権限の不行使により被告静岡県に対して国家賠償法一条一項に基づく責任が生じる要件について検討する。

行政法規上、行政庁に裁量行為としての規制権限が与えられている場合、右権限の行使は、通常当該行政庁の専門的技術的見地に立つ合理的判断に基づく自由裁量に委ねられているのであって、当該公務員が右権限を行使しないからといって直ちに違法となるものではない。そこで、公務員に右権限を行使すべき作為義務が生じ、これを行使しないことがその職務上の義務に違反して違法となるかどうかは、右公務員において当該規制権限を行使することが可能であった場合において、右権限を行使しなかったことが当該具体的事情下において、右権限を定めた根拠法規の趣旨、目的等に照らし、著しく不合理であるかどうかによって決定すべきと解するのが相当である。

(二)  そこで、被告静岡県において、原告らが主張するような違法な規制権限の不行使があったかどうかについて検討する。

(1)  規制権限について

地方自治法二四五条一項又は四項の規定によるほか、都道府県教育委員会は、市町村に対し、市町村の教育事務の適正な処理を図るため、必要な指導、助言又は援助を行うものとされている(地教行法四八条一項)。そして、指導、助言又は援助の例示として、同条二項三号において、「学校における保健及び安全並びに学校給食に関し、指導及び助言を与えること。」と定めている。また、地教行法上の指導、助言又は援助は、地方自治法二四五条四項に定められている助言又は勧告と異なり、技術的なものにとどまらず、広く必要な指導、助言又は援助を積極的に行うものと解されている。さらに、地教行法五四条二項においては、都道府県教育委員会は市町村長又は市町村教育委員会に対し、市町村の区域内の教育事務に関し、必要な調査、統計、その他の資料又は報告の提出を求めることができるとされている。もっとも、地教行法上の指導、助言又は援助には、同法五二条(文部大臣又は都道府県委員会の措置要求)にいう違反の是正又は改善のため必要な措置を講ずべきことを求めることまでは含まれていないというべきである。

なお、原告らは、スポーツ振興法一二条、一六条を根拠として、市町村に対し、学校プールの安全確保のための指導監督権限を有する旨主張するが、これらの規定は、プールの整備あるいは水泳事故を防止するために措置を講ずべき努力義務を定めたものにすぎず、これをもって学校プールの安全確保のための指導監督権限を認めたと解するのは困難である。

(2)  前記認定のとおり、静岡県教育委員会は、文部省体育局から毎年五月ころ発せられる「水泳等の事故防止について(通知)」を踏まえ、同県教育委員会の機関である東部教育事務所を通じて、右通知をそのまま引用・添付する形で、あるいは県独自の文書を新たに作成し、同県教育委員会教育長が各教育事務所長宛に通知し、直接あるいは間接的に、排水管口に児童生徒が引き込まれて死亡する事故が発生していることについて注意を喚起してきたこと、これに加えて、昭和六〇年九月二四日、静岡県教育委員会体育保健課長から各市町村教育委員会教育長宛に「プールの安全状況等に関する調査について」(教体第三五四号)を出し、①排水口の「ふた」の固定状況、②固定されていない学校の今後の措置、③固定されている学校の固定方法について、実態調査を行い、これを文部省に報告したものであり、学校プールの安全に関し、必要な指導等を行っていたといえる。

これに対し、原告らは、被告静岡県が、被告西伊豆町を含め市町村に対し、文部省通知を伝達するとともに、自ら、実態の調査を行い、その調査結果に基づいて、ボルトで固定するなどの措置が講じられていない学校プールについては、市町村に早急にこれを講じるよう、また、その工事計画についての具体的提案を市町村に求めるなどの指導監督の権限と責任を有していたにもかかわらず、これらの権限を行使せず、文部省等からの通知の伝達すらも行っていないと主張する。

しかしながら、本件証拠上、被告県教育委員会から被告西伊豆町に対し各通知等が伝達された直接の証拠がないものもあるが、例年の通達は被告西伊豆町にも伝達されていると認められる(証人服部)。また、前記認定のとおり、昭和六〇年及び平成七年に、排水溝の蓋をボルト等で固定する措置を要求する通知は被告西伊豆町及び本件小学校に伝達されていることは本件証拠上も明らかである。さらに、文部省体育局長小林敬治の各都道府県教育委員会教育長宛の平成七年五月二六日付「水泳等の事故防止について(通知)」(文体生第一一一号)については、これを静岡県教育委員会が受領した日が平成七年五月三〇日であり、右通知を受けて、同年六月一日(木曜日)付で教育事務所宛に通知が同日発信され、同月一二日(月曜日)には、東部教育事務所が被告西伊豆町宛に右通知を発していることが認められる。もっとも、右通知が本件プール開きの実施日の後になされている点で問題がなくはないが、そもそも、文部省の右通達が各市町村長に到達するまでの経路及び期間等を考慮すると、被告静岡県が受領した通知が教育事務所を経由して被告西伊豆町に通知されるまでの期間は、二週間であり、これをもって著しく不合理であるということはできない。

さらに、原告らは、ボルトで固定するなどの措置が講じられていない学校プールについては、市町村に早急にこれを講じるよう、また、その工事計画についての具体的提案を市町村に求めるなどの指導監督の権限と責任を有していたと主張するが、これは地教行法上五二条にいう違反の是正又は改善のため必要な措置を講ずべきことを求めることと実質上異ならないことを要求しているものと解されるが、この点については、被告静岡県の規制権限を超えたものであり、その不行使を違法と認めることはできない。

(3)  以上により、被告静岡県の被告西伊豆町に対する指導等に関して、違法な点はないというべきである。

したがって、被告静岡県が原告らに対し国家賠償法一条一項に基づく損害賠償責任を負うと認めることはできない。

三  原告らの損害について

1  逸失利益(争いのない事実、原告林田和行)

靖司は、本件事故当時一〇歳の健康な男子であったと認められるから、本件事故に遭わなければ、一八歳から六七歳まで四九年間就労することが可能であり、その期間中、平成八年度の賃金センサス第一巻第一表による産業計、企業規模計、男子労働者、学歴計、全年齢平均の年収額五六七万一六〇〇円を得ることができたものと推認され、その間の靖司の生活費として五〇パーセントを控除した上、ライプニッツ計算方式(ライプニッツ係数12.297)を採用して中間利息を控除して、靖司の本件死亡当時の逸失利益の現在価格を算定すると、三四八七万一八三二円となる(567万1600×0.5×12.297)。

原告らは、靖司の父母であるから、靖司の死亡により右逸失利益を各二分の一の割合(原告ら各自一七四三万五九一六円)で相続した。

2  葬儀費用(甲一九の1、弁論の全趣旨)

原告らは、靖司の葬儀を執り行ったものであるところ、本件事故による靖司の死亡と相当因果関係がある葬儀費用として一二〇万円(原告ら各自六〇万円)の損害を認めるのが相当である。

3  慰謝料(甲二、一四、原告林田和行)

靖司は、前記のとおり、健康な男子児童であったが、本件事故のためわずか一〇歳にして死亡するに至ったもので、原告らがこれにより受けた精神的苦痛には計り知れないものがある。

そこで、本件事故の態様、靖司の死亡に至る経緯、原告ら(被保険者は靖司)が本件小学校PTAを保険契約者とする傷害保険から一二〇一万円を受け取っていること、その他本件各証拠によって認められる諸般の事情を考慮し、靖司の死亡による原告らに対する慰謝料は各八〇〇万円とするのが相当である。

なお、原告らは、右傷害保険金を受け取っていることについては慰謝料額の算定において考慮すべきでないと主張する。確かに、右傷害保険は、保険契約の対価として支払われる定額の傷害保険で、被告西伊豆町に対しては代位請求がなされないもので損害の填補としての性質を有しないものであるものの、右保険契約の保険金はPTA会費の中から支払われており、原告らのみが負担していたものではないこと、保険金が傷害一二〇〇万円、入院一日五〇〇〇円(二日分)と比較的高額であることなどを勘案すると、公平の見地からは、右保険金の受け取りを慰謝料額の算定に当たり考慮するのが相当であると判断した。

4  小計(原告ら各自)

二六〇三万五九一六円

5  過失相殺

(一) 本件事故は、被告西伊豆町が、本件排水溝上の本件蓋をボルト等により固定しなかったために発生したものであり、被告西伊豆町においては本件プールの設置管理に瑕疵があったことを自認しているところ、その責任は重大であるというべきである。

しかしながら、他方、前記認定の事実によれば、本件排水溝は、水深約1.3メートルの本件プールの底に設置され、深さが0.44メートルであり、小学生が本件排水溝内に入れば、通常水没する状態になること、しかも、本件排水溝は、縦、横及び深さがいずれも0.44メートルで比較的狭く、自由に動き回ることができにくい上、本件排水管口には、本件排水溝に入っただけで身体の一部が吸い込まれるほどの吸引力がなかったとはいえ、身体の一部を密着させるなどすると、吸水圧が強く働き、吸い込まれたりなどすると、身体の自由が利かなくなること、靖司は、自ら、本件排水溝に入り、しゃがみ込むような体勢を取ったことが認められる。

右認定事実によれば、靖司が本件事故当時小学校五年生で、その判断能力が未熟であったにせよ、本件事故は、靖司が右のような危険な本件排水溝に自ら入り込んだことが一因となって発生したものであり、靖司にも過失があったといわざるを得ない。

(二) そこで、本件事故発生についての双方の過失割合を検討すると、被告西伊豆町の過失を八割、靖司の過失を二割と認めるのが相当である。

(三) これに対し、原告は、靖司の過失を問うべきではない旨主張するが、靖司が排水管口の吸引力により脱出できなくなる危険そのものを認識していなかったとしても、前記のとおりの本件排水溝の位置や形状、本件排水溝には鉄製の本件蓋が設置されており、その中には入ることができない状態で管理されていること等は靖司も当然認識していたであろうと認められる。そして、一〇才の小学生であっても、通常そのような排水溝に入れば何らかの溺水等の危険があることは認識し得るはずである。したがって、靖司の右行動を過失相殺において考慮するのが相当と認められ、その点に関する原告らの主張は採用できない。

(四) そうすると、前記損害額に靖司の過失割合二割を減じると、原告らの損害は、各二〇八二万八七三二円となる。

6  弁護士費用

原告らについて、各二一〇万円を認めるのが相当である。

7  損害合計(原告ら各自)

二二九二万八七三二円

四  結語

以上のとおりであるから、原告らの請求は、被告西伊豆町に対し、それぞれ金二二九二万八七三二円及びこれに対する本件事故発生の日である平成七年八月四日から支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があり、被告西伊豆町に対するその余の請求及び被告静岡県に対する請求はいずれも失当であるからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法六一条、六四条、六五条を、仮執行の宣言につき同法二五九条一項を各適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官東條宏 裁判官打越康雄 裁判官小川理佳)

別紙図面<省略>

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